こみゅにけーしょん
前回の記事は書いている途中でタイムアップして放置してたやつ。書いてる途中だったが、続きを書くモチベーションはなかったのでそのままアップしました。誰かに見せるための目的ではなく、とりあえずしゃべるように、文字を作って残す事がこのブログの目的。
しゃべるのと書くのは違う。しゃべれる時は質より量で、とにかく思いついた事をしゃべっているので自分の台詞の間違いや矛盾を気にせずどんどんしゃべる。伝えた気になっているのか、とにかく量をしゃべることで伝わっているのかは不明。会話を録音して聞き返してみると、何じゃこりゃという事は良くある。
伝える事、コミュニケーションという事は奥が深そうな気がする。というか、間違いなく奥が深くて改善や追求の余地だらけである。生きる時に避けては通れないコミュニケーション。伝える事。僕も含め、とてもとても大事な事を意識してないよなぁ。
あんびえんと2
アンビエントミュージック(環境音楽)っていう定義を見つけたとき、なんとなく自分がしている音楽ってこんなのかなって思った。細かいところは違うけど、なんとなくこんな感じ。まぁ、ジャズとかブルースとかすることもあるけど。
僕は即興で音を鳴らす。アドリブっていったりする。クラシック音楽や歌詞がある、日本のオリコンチャートに入るような音楽って言うのは、台本がある。だいたい。台詞や細かい言い回しや、作品の長さが決まっている事が一般的。台詞と台詞の間とかも、毎回同じ、ごだわり抜いて作られたものがあるっていうのがほとんど。ではないです。ごめんなさい。
一般的に聴かれている音楽っていうのは、結構しっかりした台本にそって展開してるんだよってのが言いたかったんです。それに対して僕がやっているような音楽は、台本が全く無かったり、空白が多い台本だったり、こんな感じの台詞にしてって言うくらいのアバウトな台本だったりって言うようなやつ。
あんびえんと
音楽の話をしよう。なぜならば俺はギタリストだから。かれこれ18年もギターを弾いている。中2の時、ギターの音がどんなものなのかも良く分からないまま始めた。お年玉で足りない分は、ばぁちゃんにだしてもらった。黒のストラトキャスターとアンプの初心者用セット。あれからもう18年も経った。あの頃の俺が今の俺の演奏を聴いたら、ぶったまげるだろう。想像のはるか先を行く、上達具合だと思う。あと18年後、と考えたら、、想像できね。
僕のスタイルはギター弾くのみ。歌は歌わない。ジャズやブルースが好きだ。即興演奏をする。アドリブっていうやつ。エレキも弾くけど、最近はガットギター(クラシックギター)を弾く事が多い。誰からも受け入れられやすから。
そう、ジャズを弾こうと思ったキッカケもそうだった。ハードロックやへヴィメタっぽい曲ばっかり聴いていた時、ギターで弾くのももちろんそっち系。ばあちゃんやじいちゃんからギターを聴きたいなんて思われてなかっただろう。僕が聴くような曲も、頼むから音量を下げるかイヤホンで聴くか他の場所で聴いてくれと言われてたな。そういえば。
ギターをプロとして弾こうと決めた時、無意識に思った。そういえば。ばあちゃんが聴いてくれる音楽しようって。ばあちゃんが笑顔になる音楽しようって。ばあちゃんから求められる音楽しようって。そういえば、思ってたな。だからジャズを始めた。それだけが理由じゃないけど。誰にでも受け入れられやすい音楽をしようと思った。ジャズが誰にでも受け入れられやすいかどうかは置いておいて、誰にとっても迷惑にならない音をだせるようになろうって思った。
そういえば、10年前くらいにそう思ってた。そうだった。ギターで食っていこうと思った時、そう思ってたんだ。
色んな音楽するし、自分の音楽を追求するけど、できれば誰にとっても違和感が無い音も出せるようになりたいなぁと。そうだそうだ。だから今ガットギター弾く事が多いのかも。
あと最近気付いたけど、俺のやってる音楽ってアンビエントミュージック(環境音楽)っていうのがしっくりくるのかも。空間に合わせた音楽?いや、ググろう。
環境音楽。作曲家や演奏者の意図を主張したり、聴くことを強制したりせず、その場に漂う空気のように存在し、それを耳にした人の気持ちを開放的にすることを目的にしている。シンプルで静かなメロディーを繰り返す場合が多く、画廊のようなスペースでビデオアートと組み合わせて用いられることもある。
出典
はーい、こんな感じ。そうそう。聴くっていうよりも感じるような音楽なんだ。もちろんそうじゃない時もあるけど。
音楽するって言ったらだいたい、「何で歌わんの?」「あの曲弾けんの?」って言われてものすごく違和感があった。
ていうかおなか減った。もうこの辺で。ただ書く事が目的なんで、そこんとこよろしく。
したいことをする
最近、朝起きれなくなった。少し前までは朝5時半に起きて、ギターの練習をするっていうのが当たり前にできていたのに。どうすればもとのスタイルに戻れるだろう?
最近、したいことだけをするっていう実験をしているからなのか。今月頭にハワイに行ったのが原因でリズムが狂ったからなのかは分からないけど、朝起きてギターを弾くっていうのが当たり前にできていたあの頃が恋しい。
まあでも、したいことをする。できる範囲で。自分も他人も傷つけない範囲で。作為を挟まず、自分の心に従う事にする。そういう実験中。「こうしなければならない」と「こうしたい」の間には葛藤があって、「こうしなければならない」っていうのは固定観念が生み出すもの。自分のちっぽけな経験の中から生まれる思い込みである事が多いらしい。「こうしなければならない」と「こうしたい」がぶつかった時は固定観念書き換えのチャンス!!らしい。なぜだか分からないけど、上手くいく!らしい。
脳みその性質である「ラクをしようとする」と心の声である「したい」の区別はいまだに判断に迷うが、まぁとりあえず、今までは少なからず「ねばならない!」に染まっていたので、だまされたと思ってやってみよう。
ギターと僕と男と女、ではない。
音楽。音楽とはなにか。そんなもん知らんけど。僕と音楽について。
僕にとっての音楽とは。そんなのもよく分からんけど。
なんか、僕の人生でものすごく大切で、ものすごく引き付けられて、ものすごく執着させられていて、ものすごく憧れを抱かせてくれて、よく分からんけど、音楽について書いてみたいと思う。よく分からんけど。
ギターが好きだ。ギターの音色がね。なんかよく分からんけど、エレキの音であれ生の音であれ、ギターの音色に心惹かれる。心が、うぃ~っんってなる。なんなんだろうこれ。
小学生の時に初めて気付いた。GLAYのギターソロの音。むちゃくちゃ気持ちいいって思った。当時はその音がギターの音か良く分かってなかったけど、とにかく歌う声じゃなくて、間奏で流れるうねるような音色にとてもとても心を惹かれた。あれが最初。なんでだろう。理屈じゃなくてギターの音色に本当に意識を奪われる。
ギターを始めた。中二の時。それ以来、ギターを弾けるようになることっていうのがとてもとても大きな欲求になった。なぜだろう。本当に。今でも、ギターを上手く弾けるようになることっていうのがもんのすごくおっきな欲求である。我輩は猫である。いやいや、人間です。
ギターを弾くことに執着している。いやギターを上手に弾けるようになる事に、執着している。なんでだろう。ちなみに練習はそんなに好きではない。
ギターに対するこだわりが無くなれば、どんなに生きやすくなるだろうと、よく思う。なぜだろう。なぜこんなにこだわるのだろう。ギターを弾かなくなったらできることが山ほどあるのに。たどり着くまでには途方も無い時間、ギターと音楽と、向き合う必要がある場所を見ているのだろう。ずっと考えている。
とにかく、ギターが、音楽が、好きなんだ。いや、愛しているんだ。だろうな。で、なぜこんなにも執着するのだろうと考えるよりも、これには何の意味があるんだろうと思うようにした。ずっと前に。
物理的に人を助けれるわけでもない、生きるために必須な事ではない、仕事として一筋縄ではいかない音楽と、人生を共にしようと選ばざるを得ない事には何の意味があるのだろう。心の声には絶対に意味がある。俺が音楽を、ギターをする事に、何の意味があるのだろう。いつも考えている。いや、探している。思い出している。